トラウマは解消できるのか?

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私自身は、レベルの低いことですが
友達と思っていた人にLINEで
批判されて、その後、理不尽な対応を
取られるという復讐的な言動が
トラウマに感じて、LINEが嫌い

でも、これは、今日の演者・長谷沼さんの
講義、アドラー心理学がトラウマを
どうとらえているか、によると
トラウマとは違うということ。
いうなれば、「トラウマ的体験」なのではと。

今日の講義から、私の解釈を交えて、
「トラウマとはなんぞや、どうするのか?」
について、お伝えしていきます。

「トラウマ」とはなんぞや

自分の対処能力を超えた出来事
辛い出来事は、その人にとって
トラウマ的な経験。

その中で、そこから非常に
苦しい状態に、例えば鬱状態に
なったりする、これを
PTSDといい、医療ケアが
必要な状態とよべます。

 

「トラウマは存在しない」と
ちまたで流布されているアドラーは、
実はそうは言っていません。

we are not determined by our 
experiences but are self determined
by the meaning  we give to them.

トラウマが存在しないのではなく
トラウマの経験をしたことに対して
どう意味を与えるか、意味づけるのか
ということだ。

岩井先生がさらに噛み砕いてくださいました。

トラウマ的事実は存在するけど
それを障害になるかどうかは人それぞれ。

PTSDをアドラーはどう捉えるのか?

講座の最中、ある映画を思い出していました。

伝説のF1レーサー、ニキ・ラウダと
ジェームズ・ハントの事故の話

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映画「ラッシュ」のあらすじ

1970年代、毎年2人が事故で死亡する
F1の世界で伝説となった2人のレーサーが存在した。

ジェームズ・ハントは野性的思考であり、
毎日を人生最期の日の様に謳歌する豪放な
プレイボーイで、勘を活かした走りを
得意としていたイギリス人。

ニキ・ラウダは「コンピュータ」と評される
論理的思考であり、レーサーのイメージとは
かけ離れた勤勉な男で、工学の知識を活かして
自らマシンを整備する走りを得意としていた
オーストリア人。

全く正反対の性格の2人はやがてライバル関係となり、
度々レースで競い合う仲になる。

そして1976年― シーズン成績1位を独走する
ラウダとそれを追うハント。ドイツグランプリの
その日は朝から豪雨でニュルブルクリンクサーキット
の状態が悪かったため、レースを決行するべきか
どうか審議が行われた。

ラウダは中止を主張したが、ハントは決行を支持し、
最終的に予定通り開催されることとなった。
しかし、そのレースでラウダはクラッシュし、
生死をさまよう重症を負ってしまう。

ハントは彼のクラッシュの原因が自分にあると
考えショックを受けるが、その後のラウダが
参加できないレースでラウダとの差を埋めていく。
一命は取り留めたラウダは、病院でその様子を
見て奮起し、事故後わずか42日後にレースに復帰する

(wikipedeaより抜粋)

顔に大やけどを負い、有毒ガスを吸ったため
肺も深刻な状態です。

だれもが、トラウマになる、そんな
経験のはずなのに、なんと、事故からわずか
42日後にレースに復帰するってすごくないですか。

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(wikipedia より。ニキ・ラウダ)

トラウマがあるかどうか、その議論は
不毛だと思いませんか?

トラウマ的な経験は事実としてある
あったとしても、それをどう捉えるのか
「認知」の問題なのです。

まさに、この事故という経験の中で
自分の目的にあうもの、すなわち
ニキ・ラウダの場合、F1優勝
この目的のために、何をするのかを
選んで、自分で決めているのです。

経験をないものとするのはナンセンス。
それよりも、あったとして、どうするか
そこを、共に考えることが重要と感じました。

PTSDになってもおかしくない体験でも
人により、ならないとなれば・・・

PTSDになるかどうかも、決めて
いるとも言えますね。

PTSDになりたくてなっているという
意味ではなく、同じ経験でも
「非建設的対応」を選んだ結果
PTSDになってしまうことがあるという
意味です。

記憶は作られる

人は見たいように見、記憶したいように
記憶するもの。

私たちの思考は上書き保存できます。

私が、LINEで攻撃するなんてひどい人、
さらにその後も無視するなんて、
と思えば思うほど本当の事実の観察からは
遠のき、私が思いたいように、たとえば
あの人は、嫌な奴だという記憶を
作っていってしまいます。

ですから、思考を変える訓練
必要なのです。

望む未来を描き、そのために
思考を使うのです!!

トラウマ的な経験があった
さて、これをどう認知しよう。

これが正解というものではなく

「やらわかな決定論」

ある時は、非建設的と言われる
行動をとってしまうかもしれない。
でも、それだから、不正解!なのではない。

それも、意味のある回り道。
必要な過程と思う。
その「しなやかさ」「たおやかさ」が
必要かと思います。

回り道をしながらも、建設的な対応を
やがて、いつかは選べる
そう信じていく。

やがて、人はまだまだいい人も
いるものだ、世の中、まだまだ
捨てたものじゃないと、よい記憶が
上書きされていく。

幸せな記憶で上書きしたいものです。

階段状ではないプロセス

今日の講座では「悲嘆」は1年以内に
解決されると言われていましたが、私が
ホスピス研究をしているなかで、知り得た
調査結果では、死別の悲嘆からは
平均で4年半かかるとされています。

その間、いい日、落ちこむ日を
いきつもどりつしながら、進みます。

アドラー心理学でいうところの
建設的対応ができる日、今日はご飯が
食べられる、そんな日もあれば
どうして私だけご飯食べていられるのか
夫はもう食べることもできないのにと
また、抑うつ的な状態になる
そんな非建設的な対応の日もある。

明確に、階段を登るように回復するのではなく
いきつもどりつを繰り返し、ゆるやかに
軽快していくのです。

私は、このトラウマ議論に、元看護師
そして、死生学を伝える立場で
どうしても加筆したいことがあります。

それは、一人で乗り越えるより
だれかの理解のなかで、乗り越える方が
はるかに楽であるということ。

死別の悲嘆のケアで一番
大事なのは、医療的な関わりではなく
信頼でき、ただ、聴いてくれる人の
存在です。

あれこれアドバイスされるのではなく
自分が立ち直っていく過程を
ともに、理解し、ともに歩んでくれる
そんな存在。

相手に、悲嘆の回復過程を解説するなど
そういうのは、上から目線。

そうではなく、相手の目線・耳、心で
聴いて、さらに、「質問」で、
ゆるやかに、しなやかに、解決策を
探せるように、ともに、歩む姿勢。

白黒つけていく人生よりも
ゆるやかに、しなやかに、
思い込みをはずし、みなで共に
「幸せ」をもとめて、歩んでいく
そんな人生がいいなぁと思うのです。

トラウマは解消できるのか?

そもそも、トラウマがあるのか
ないのかではなく、トラウマ的
体験があった。
それに対して、辛いと感じている。

建設的、あるいは非建設的対応を
選択することができる。

どちらがいい、わるいという明確な
こたえより、行きつ戻りつしながらも
共同体の中で、人との信頼と
傾聴の中で、ゆるやかに、建設的対応を
選び、健康な状態にもどっていく。

 

どうか、相手の関心に関心を寄せ
同じ共同体の仲間として
よい人間関係を築いていきましょう!!

それには、アドラー心理学がとても
有効なお手伝いができます。

土曜日は6時間、勇気づけELM講座で
明日も大和市で勇気づけを
お伝えします。

3月から新宿で開講します。
ぜひ、お越しください。

ヒューマンギルド 岩井俊憲先生

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岩井俊憲先生

ご案内

❶ アドラー心理学勇気づけELM講座
 
3月2日、9日、16(木)
10時から13時@新宿

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2月7日(火) @新宿

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体験会 2月7日(火)10日(金)

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2月15日、22日、3月1日、15日
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❺お金と誰でも友達になれる7つの秘訣 
2/16@町田

❻今度こそお金のブロックを外して
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2月23日10時から12時@新宿